「素直が一番!」って言うやつ全員シバく

「素直が一番!」って言ってくるやつをシバきたい人間のブログです。

僕がモテない理由

慣れとは怖い。

 

被扶養者という翼で自由な青空を飛び回っていたところを、両翼をもがれ地を這いずり回る生活になってから早5か月。そして半年が過ぎようとしている。初めこそナメクジのように謎の汁を擦りつけながら進んでるとも退いているとも言える迷走をしていたが、最近は少しは進化したのか、少し背の高いカタツムリぐらいは平気になった。気がする。

 

これは進歩だろう、と大抵の人は言うでしょう。ただ、僕にどこか危険な香りがするのだ。僕ことカタツムリ君は、ナメクジ時代になかったものを身につけたが、ナメクジ時代にあったものを失ってしまったのかもしれない。

 

まあそれは違和感のことなんだけど。

 

初めこそ

「なんでPOSレジ導入しないんじゃ! 手計算で収支あうほうが奇跡やろ!」

「目標設定がムチャな割に戦略が「がんばれ」「なんとかしてくれ」の一点突破って脳筋すぎるだろ! アホか!」

「稽古つまらないんじゃ! 『決まりごとですか』で全部済まそうとすんなボケ!」

「上下関係に厳しい ことをドヤらんといて〜〜!」

などと2時間に1回は発狂してたんだけど、最近はその頻度が随分減った。

そしてその頻度が減っていること自体に、新しく入ってきた派遣の方の反応を見ることで初めて気がついた。

 

 これってヤバいんじゃね!!!!!!????

 

「不満を言う人間に人望はない」とピシャリと言われたが、僕は不満→批判→改善案→実行→改善というシンプルな方程式を信じちゃうので、不満なき改善は無いような気がするのだ。(もちろん、不満がフマンになり、フマンがブーブー言う豚になってしまってはそりゃ嫌なんだが)

不満を抱けぬ状態は、現状維持の保守体制の自己保身のジリ貧にとっても近しい気がする。

 

じゃあ僕はこれからどうすべきか、なんだけど、とにかく当面は少しでも記録を続けるしかないんじゃないか、という結論に至った。

面白くもクソもない結論だが、だってそうするほかあるまい。言い方を変えれば、イマ、このとき、僕が確かに不満を覚えていた、という感情だけは書き留めないと、風化し、忘れ、無かったことになってしまう。それは、僕的にも会社的にも不幸な気がするんだ。

 

というわけで今んとこの不満点をここに記す。

【下の人間が意見を言う場所少なすぎワロリンヌ問題】

ドくそ下っ端の分際で「ぼくのはなしをきいてくだちゃい!」って言うのも心苦しいが、曲がりなりにも出版社を標榜するのであれば、アイデアがナマモノであり生き物であり、即座に捕まえなければ逃げるか腐る生き物であることをもっと自覚してほしい。そして、多くて困るものではないことも自覚してほしい。

特に編集と営業は話し合え!! 市場を知れ!!! 返品率の異常さを知っとくれ〜〜!

 

【再発防止策ズサンすぎワロリンヌ】

I上さんとも話したけど、失敗や失策のときに問題や責任が「人」に集約しがち。端的に言えば、「ノルマを課しました」→「10人中3人しか達成できませんでした」→「残りの7人頑張れや!」ってなる。

まず前提として頑張るのは当たり前なんだけど、これ策として無謀すぎない??

つまりはさ、じゃあノルマが厳しすぎた、とか、商品が悪かった、って発想になぜならんの? というか人が悪いという可能性とモノが悪いという可能性は別に矛盾せず併立しますし、それなのに「成果があがらないのは成果をあげない人がわるい!」で、「そいつが次成果をあげれば上手くいく!」で、人に責任を負わせる方式ってあまりに投げやりすぎるし、正直経営者としてそれってあかんやろ、と思う。

思考停止とまではいかんけど、失敗要因の分析が甘すぎる。より良くしようと思うなら、次はこうなりたくないと思うなら、「そいつがわるい」以外にとれるすべってあるでしょ。教育を変えるでもいいじゃん。模擬営業でもしてみれば? 人がモノ言う商売なんだし。

 

【ボーナスカットで責任取ったリセット感出さんといて〜〜!】

そのまんま。売上厳しい→ボーナスカットってまあ正しい流れかも知れんけど、なにより怖いのは「痛みを負ったんだからチャラよね」って精神になること。

上的にはボーナスカット→次のボーナスは欲しい→「ガンバル」→業績アップ! っていう尻に火をつける連鎖反応を期待してるんだろうけども、結局「ガンバル」の内容がお粗末なおかげで、成果があがるかはビミョー。

そして怖いのは、管理職に言い分を与えてしまったこと。

「俺はボーナス削ったんだぞ」と言われて、即座に言葉を返せる人ってそういないよ。自分の身を切った人間をさらに切りつけることに人は躊躇するよ。

でもそんなことは考えちゃイカーーン!というか『天』でも言ってたけど、「責任を取る道は身投げのような行為の中にはない」!!

ボーナス削らなくていいよ。身を切らなくていいよ。そんな身投げ望んでないよ。(僕は最初望んじゃったけど。ごめんね)

人の声に耳を傾けて、なぜ間違ったのか、次はどうすればもっとよくなるのか、それを考えていくことが責任を取る道でしょ。そして、捨てるべきは金ではなくプライド。自分の策が失敗したなら、人の策に耳を傾けることが先決でしょ。

 

眠くなったので今日はここまで。

 

不満が改善に繋がるためには、具体的な改善案を出さなきゃいけないよね。でも聞く耳持たずじゃそれも死んでくよ。「空気を読まずに斬新な発言をするキレ者」を採用するより、「誰でも意見が出せるような場を設けて教育すること」、僕的には後者の方がいいと思うんだけど。

 

あーーーなんか言い訳っぽいなどれもこれも!!!!

こりゃ俺がモテねーわけだわ!!!!

そのとき歴史は動いた!←そもそも動かすのを邪魔してるやつが一杯いるんだよ

とあるお稽古にいってきた。

稽古。練習ではなく。演劇も稽古だ。剣道や柔道、相撲も稽古だ。座学学習ではなく、実践練習を基本にしている点が共通している。それから相手が必要なことも同じだ。

ちょっと調べると、「稽古」は『書経』の中に出てくる言葉で、古を稽へる(=考える)という意味らしい。へぇーえ。

2000年以上昔にできた言葉を今でも使っているというのは神秘とロマンがある。ネットは当然ないし、本だって高価で貴重で限られた人間しか読むことが出来なかった時代。「稽古」という言葉を知った人間はわずか一握り。ソイツが「稽古をしよう」とか言い始める。すると周りは「ケイコ? だれ?」となる。するとソイツが意味を説明し、周りが「そりゃあ良い言葉だ」と思って使い始める。繰り返し。そんな感じだろうか。

僕もネット用語で「バブみ」だの「エモい」だのを見て使ったりする。流行するためには言葉そのものの魅力が必要だ。ネット用語の隆盛は早いが、2000年以上使われた言葉っていうのは言葉それ自体の魅力が半端ないんだろう。まあ単に「稽古」に相当する単語がなかったから独占市場だったって可能性もあるけどね!

 

まあ前置きが長くなったが、とにもかくにも歴史あるもの・伝統を教授する/学習するってのはめんどくさい。何が言いたいかっていうと、その稽古、とにかく面倒だしオモシロイと思えなかった。

腕の角度はどうだの、手の形はどうだの、運びがどうだのタイミングがどうだの。しゃらくせえ!!!!!!!!!と声を張り上げたくなってしまった。

でも本当に言いたかったのは「どうして」だ。

一見非合理的で形式的にしか見えない動きにも、きっと理由はあるはず。「暗闇でも相手に伝わるために音を立てる」とかさ。「陰陽」でもいいよ。とにかく、なにしかしらの法則やルール、美学があるはずなんだ。僕はそれをトコトン聞きたかった。というか根掘り葉掘り聞いてやろうと思って稽古に赴いた。

ところがギッチョン。先生のお言葉は「まあ決まり事ですから」。そりゃねえだろうよオイ。

決まり事があるなら、その決まり事ができた背景があるはずだ。それを知りたいし、というか簡単な話、それを知らないとアホらしくてやる気が起きない。「廊下で走ってはいけません」という言葉だけで従うほど僕は素直な子ではなくなってしまった。「人にぶつかってケガさせるから廊下は走ってはいけません」。ここまで言わねえとわかんねえのかという声が聞こえてきそうだが、わかりません。でも言われたらわかりますし納得しますし走りません。ワガママでごめんちょ。

でも、先生の口ぶりも、他の生徒たちの姿勢も「これはこういうもの」と捉えているようだった。その疑問をすべて解決して納得しているのか、それとも先述の通り「走ってはいけません」を素直に「はい」としたがっているのか。僕には一瞥判断がつかなかった。

ちょっと話が矛盾するようだけど、「いいからやれ」「とにかくやれ」が真なることはかなり多い。今の僕には判断も納得もつかない事象は絶対にあり、何もわからずにやってやり続けて初めて「ああこういうことだったのか」と腑に落ちることもある。個人的には受験勉強とかそうだけどね。よかった~あそこで「なんで受験勉強なんてしなきゃいけないんですか」とか考えてなくて。絶対こじれてたよ。だから、疑問を持たずに従う姿勢ってのは間違っちゃいない。これは声を大にして言える。

でもよ!疑問を持つ自由とそれを口にする自由、そしてそれを知る自由があるのも事実だぜ!

「決まり事だから」で浮かぶ疑問を封殺するのは、ちょっと怖い。疑問を持つ、というスタンスを否定している。疑問を持たない姿勢は間違っちゃいないが、疑問を持つ姿勢を変えさせるのは間違ってると思うよ。だってそれは自由を侵害してるから。いぇー!俺は平成生まれ!平和と自由と平等を教えられ育った不況の子供!

大方の場合、「決まり事だから」の威力を担保しているのが歴史と伝統だ。ぶっちゃけ権威でいい。権威ゼロの僕が「今から女は全員下着で歩け。決まり事だから」って言っても誰も聞かない。でももしもこれが年収5兆円の国家元首のイケメンだったら? 聞かないなあ。じゃあ解散

スケールがでかすぎたけど、権威ってのは「エライ」ってことだよ。単純化すれば。そして「エライ」ってのは「自分より上」って意味だ。上の人に言われちゃ仕方ないよね。上の人は僕の生殺与奪を握ってるからね。下手したら本当に。

歴史や伝統というのは「エライ」。しかも否定できない偉さがある。人の偉さは功績で決まったりするけど、歴史の偉さは時間の量だ。2000年以上使われている稽古って言葉をスゲーって俺が思ったように、時間の量は覆せない。僕が50万歳とかならまだしもね。時間の重なりは人を含む。それだけたくさんの人が関わって守ってきている。だから僕が、稽古の先生を、その内容を蔑ろにするのはその途方もない人間たちへの侮辱にあたるのだ。

ここまで考えると被害妄想だろうけど、でも僕はそんな雰囲気を感じたんだ、一見非合理的な所作。それに浮かばない疑問。「決まり事だから」で済ます人。これに関しては僕はそっち派じゃない。まあ仕事が関わってるからだけどさ。でも、そういう盲目的なある種妄信的な時間への崇拝は、どこかで歪が生まれるのではなかろうか。それって何の意味があるんだよ、それって何でやらなきゃいけないんだよ。不良みたいな言い方だけど、疑問が浮かぶのはステキなことだ。そして口にするのは勇気がいることだ。文句でも。文句は誰にでも言えるなんて文句そのものを否定する人も多いけど、納得を求めて疑問を発したやつを口うるさいやつ認定する方が意地が悪いよ。ふん!

いろいろ書き連ねたけど、疑問を感じる姿勢は大事だ。そしてそれに答える姿勢も大切だ。「決まり事ですから」で済ますのはそれこそ誰にだってできる。なぜその決まり事ができたのかまで追求してこそじゃないの? 「誰も意見できる空気じゃなかった」って理由で見過ごされている世の中の不合理理不尽山ほどあると思うよ。だって座高計測意味ないって去年発覚してなくなったけど70年くらいやってたんだぜ!!!!??????あほかよ!!!??????!!!!だれか「これ意味あるの?」って言えよ!!!!!!!(もちろん言ってたと思うけどさ)

どうして?を繰り返してもしも理由や背景が見当たらなる壁にぶつかったら、そこで初めて美学になるんだよ。ボケ!!!!!!!

 

でもお菓子は、おいしかったよ。

タイトルの話。

タイトルの由来の話。

これは就活中に出会ったとある就活カフェの主宰に由来している。

僕の人生史上でもまれにみる、心底むかつく野郎だった。

そのむかつき度があまりにあまりだったため、僕は彼をモデルにした登場人物が出てくる芝居を書いた。主人公やヒロインよりも先に、最初に作った登場人物だ。つまり、その芝居自体が彼の姿勢と思想に対する僕なりのアンチテーゼと言っても過言ではない。

 

実は「素直が一番!」というのは直接彼の口から出た言葉ではないのだ。近頃世間でちやほやされ、特に就活の面接アドバイスで必ずと言っていいほど使われる文句。「愛してる」くらいありふれた言葉だ。

「素直が一番!」だけなら、まだサワヤカな感じがしてまだマシ。旅行から帰ってきたお母さんが家の玄関を開けて荷物を置くなり「やっぱり家が一番!」と言うような清々しさがある(旅行全否定のようで、家族サービスのお父さんには気の毒っちゃ気の毒だが)。むかつく野郎はこの文句をさらにむかつくアレンジをしていて「なんで素直じゃないの?」と言っていた。知るかボケナス。

「なんで素直じゃないの?」というのはずるい質問だ。だって僕には選択肢がない。僕が素直かどうかを判断するのはむかつく野郎(以下、むっちゃんとする)だけなんだから。とはいえ、この話は長くなるので、また今度にしよう。むっちゃんは腹立つヤローだが、むっちゃんとの出会いは僕の脳みそをかなり刺激した。

 

で、ブログのタイトルの話だ。

ブログ名を考えるときに、「こじゃれた名前がいいけど、あまりに狙うとスベるし、かといってシンプル過ぎてもかえって奇をてらっている気がしてスベりそう」というはいだせない落とし穴にはまっていた。面倒になってきて、もうブログなんて作るやーめよ、とまでなった。そのときに、ふっとこの文句が浮かんだ。意外としっくりきたのでそれにした。

念のため言うが、「こ、これやー!!」となったわけではない。「こんなかなあ。あ~どうだろう。まあまだマシかなあ。これでいいかあ。いいよなあ。うん、まあ」みたいな一人脳内会話を経たうえで特にこれといった決め手なく決めた。だいたいそんなもんだ。腹が減ってるわけでもないのに入っためし屋のメニューのように。ギョーザセットとから揚げセット、どっちでもいいし、ギョーザを選んだからといってから揚げを憎悪しているわけではない。一番近いのは松屋かな。松屋のメニューで「これやー!!」って決めることはかなり少ない。ブタ焼肉の定食を選ぶ感じ。近い、かなり近い。

そんなわけでまったく愛着なく決めたタイトルだけど、キャッチーだし、今っぽいし、僕の人間性も伝わるし、『「素直が一番!」って言うやつ全員シバく』って言うのが一番素直ってのも深いっぽくて良いし、意外と気に入ったかもしれない。キュウソネコカミのアルバム「10代で出したかった」みたいでいいじゃん。「天才でごめんなさい」みたいでもある。会田誠あんま好きじゃねえけどよ。

 

さあ飽きてきたぞ。正確には書きたいこと書けることはたくさんあるんだけど、それを構成する体力がなくなってきた。発想は布団の上でもできるけど、構成は体力だ。

 

おやすみなさい。また。